ビジネスとマーケティングの上り坂
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こんにちは、西です。
私たちは普段、友人知人とのコミュニケーションツールとして、Facebookなどのソーシャルメディアを楽しみながら利用しています。
あなたは、これらソーシャルメディアを一過性のブームだと思いますか? それとも、今後長らく私たちのライフスタイルとして根付くものだと思いますか?
私は
「Facebookを始めとするソーシャルメディアが現代に現れたのは必然であり、一過性のブームなどではない。多少形を変えたりはするかも知れないが、今後、長らく私たちのライフスタイルの一つとして根付いていくだろう」
と考えています。
今回は、その理由をお伝えしたいと思います。
歴史を振り返って ~江戸時代の社会~
かなり時代を遡ってしまいますが、まずは江戸時代の社会について考えてみましょう。
江戸時代の社会は、地縁・血縁で結ばれた共同体的な社会でした。
現在のように便利な交通網もなく、生まれ育った地域から別の地域に移るだけでも大変なことです。
多くの人は生まれた土地で死ぬまで生活し、職業も親の職業を継ぐなど、居住地・職業に選択の余地はほとんどありませんでした。
そのため、人々にとって「社会」というものは、居住地の属する地域社会のことでした。
自分の属する社会は生まれた時から決まっており、非常に濃い地縁・血縁で結ばれた共同体の一員として、死ぬまで所属することが一般的でした。
このような共同体社会の中では、個人に課せられた義務をきちんと果たすことが求められ、張り巡らされた人間関係の糸の中で、不自由を感じることもあったかも知れません。
しかし、共同体の中で義務を果たしさえすれば、個人の居場所は与えられ、濃密な社会の一員として生活していくことができました。
19世紀の社会学者・テンニースは、このような伝統的な共同体のことを「ゲマインシャフト」と名付けました。
明治以降の工業化社会
産業革命の影響が我が国へも波及し、都市部で工場などが作られるようになると、地域の農村などから、多くの人が都市へと移り、そこで労働者として生活するようになりました。
都市に出てきた労働者は地縁社会から解放され、自由になったと考えることができます。
この状態は、「第一の個人化」などと呼ばれています。
第一の個人化では、自由と引き換えに、労働者は自分の所属する共同体を失うことになりました。
都市社会では、労働者は企業と紙切れ一枚の契約書だけでつながる存在です。そこには利害関係しかなく、原則として共同体というものは存在しません。
このように利害関係でしかつながらない社会のことを「ゲゼルシャフト」といいます。
労働者は、ゲゼルシャフトの中で「自由、しかし孤独」という不安定な生き方を強いられることになるはずでした。
しかし、わが国では、都市化・産業化が進展するにつれ、労働者たちは新たな共同体の構成員となります。
それが、企業の「日本的家族経営主義」と呼ばれるものです。
なぜ、我が国で日本的家族経営主義が発生したのか、その背景には、企業の「長期的に良質の人材を確保したい」という思惑がありました。
日本的家族経営主義を特徴づける「3種の神器」として、「生涯雇用、年功序列、企業別組合」が挙げられます。
我が国の高度経済成長時代をピークとして、我が国の企業は、前述のとおり
「労働者に出来るだけ長く会社に勤め、スキルを高めて貢献して欲しい」
と考えたのです。
そして、労働者の忠誠心と引き換えに、3種の神器という
「企業社会に所属することによる安定」
を労働者に提供してきたのでした。
このようにして、企業は擬似的な共同体となったのです。
第2の個人化 ~人々が本当に分断された時代~
しかし、日本的家族経営主義による擬似共同体の制度も、長くは続きませんでした。
1990年前後のバブル崩壊が、その「終わりの始まり」となりました。
多くの企業が体力を失い、生涯雇用・年功序列(賃金)など、多くの制度が崩壊したのです。
また、正規社員採用を減らし、雇用するとしても非正規雇用にするなど、以前のシステムは大きく変わってしまいました。
家族的経営ができなくなった企業と労働者の関係は、まさに紙切れ一枚の利害関係のみ。
多くの人々が、どこにも安定して所属することができなくなりました。
このような現代の状態は「第2の個人化」と呼ばれます。まさに社会から分断された、本当の意味での個人化といえるでしょう。
そして、ソーシャルメディアの時代へ
1990年以降、失われた20年とも30年とも言われる現代、ソーシャルメディアが登場しました。
深刻な個人化の時代ですが、人間は本来、社会的な生き物です。必ず、どこかに所属したい、という欲求があります。
それを叶えてくれるツールが、ソーシャルメディアです。
特にFacebookは、実名で他社と繋がることができます。物理的な距離は関係ありません。
また、バーチャルな空間かも知れませんが、リアルに繋がった交流もできる。
こんな不安定な社会だからこそ、ソーシャルメディアという社会に所属していたい、という無意識な欲求があるのではないか。
そのような欲求がソーシャルメディアを登場させたのではないか。
私には、そのように思えてなりません。
以上が、ソーシャルメディアが私たちのライフスタイルとして根付いていくだろうと考える理由です。
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