ビジネスとマーケティングの上り坂
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こんにちは、西です。
先日観た「風立ちぬ」にかなり感激しまして、もう一度観に行こうと思っているのですが、なかなか観に行けていません。
この映画、ストーリーに対した起伏は無く、私もベタ褒めしている割には、レイトショーで観ていたこともあり、眠くなった時間帯もあったことを、先に告白しておきます。
しかし、「眠くさせる」ということさえも、この映画の戦略の1つかも知れません。
というのも、この映画は「多くを語らない」というコンセプトで、全てが貫かれていたと思うのです。
まず、淡々とした描写だけで、あの時代(関東大震災~太平洋戦争終戦)の空気を感じさせてくれたこと。
ほぼ予備知識ゼロでレイトショーに飛び込んだ私でも、二郎と菜穂子が出会った大地震は、関東大震災と判ります。
そしてラストシーンは、空襲に焼かれた飛行機の残骸が延々と連なっている光景。
つまり、物語は1923年(震災)~1945年(終戦)までを中心に描かれているのですが、
・忍び寄る戦争の暗雲
・ファシズムの台頭(特高の存在、追われているドイツ人・・・ゾルゲ?など)
という断片的な描写だけで、時代の空気は十分に伝わりました。
さらに「多くを語らない」というのは、あの時代の日本人の気質そのものであった、ということ。
・震災の時以来、8年間も一途に1人の男性を思い続けた菜穂子
・最高性能の航空機を作りたい、という二郎の想いと、仕事に捧げた生き様
というものが描かれていましたが、これこそ、当時の日本人の寡黙・朴訥・純粋な生き方だったと思います。
主人公・二郎の声をエヴァンゲリオンの庵野監督が担当した、というのも、まさに彼のイメージが「多くを語らない・朴訥」というものだからではないでしょうか。
もちろん、当時の日本人の国民性を手放しで褒めているわけではないでしょう。
日本国民のほとんどは、国の大本営発表を信じ、従い、寡黙・朴訥・純粋、そして愚鈍なまでに生き、そして死んで行きました。
「多くを語らない」とは、当時の日本人の美徳であり、愚かさであったように思います。
また、映画では語られませんが、「二郎の生きざま」というミクロな出来事を、マクロな物の見方に結びつけて考えればば
・技術開発に情熱を注ぐ二郎
・その二郎の情熱を、大量破壊兵器の生産のために搾取した当時の政府
・しかし、そのような戦争を経て、現在の我々が文明の利器によるメリットを享受
という流れとなります。
・・・正直、何が正しくて何が悪いのか、正と悪は相対的であり、決めつけることはできません。
ですが、人類史上、もっとも大量に人々が殺戮されたあの時代を振り返り、「何に学び、何を反面教師とするのか」
それを、「生きるものとして、我々は必死に考え、そして生きていかなければならない」
この「語らない映画」は、雄弁に訴えている気がします。
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